- 名前:山田彩乃
- 高校名:群馬県立渋川女子高等学校
- 入塾時期:浪人後の7月頃
- 合格大学・学部:早稲田大学(文学部・文化構想学部)
群馬県前橋市在住(武田塾へは、さいたま市内のお祖母ちゃんの家から通う)/群馬県立渋川女子高等学校卒(たった一人だけの馬術部)
受験時の情報
- 出身高校の偏差値 出身校のレベルは、偏差値61
- 得意科目:国語
小説を読むのが好きだったから、読解を苦手と思ったことがない。
受験勉強としての国語はほとんどやらなかった。
それでも、参考書の問題を解くことで場数を踏んだ。 - 苦手科目:英語
英単語をまったくやっていなかったので、長文が読めなかった。
また読むのが遅いので、長文を見ただけで「うわーっ」となってしまった。
武田塾に入塾して、「システム英単語(駿台文庫)」で、
まず単語を覚えることから勉強をスタートさせた。 - 合格した大学の受験科目: 国語、英語、世界史
私は、早稲田大学の文学部だけでなく文化構想学部にも合格した。
この両学部の出題の傾向は似通っている。
併用して受験しやすく、試験対策にも好都合だった。
早稲田大学の文学部を受験する人にお勧めだ。
現役時代の私
渋川女子高で、ただひとりの馬術部員だった。
馬が好きで、乗馬クラブで毎日馬に乗っていた。ちなみに渋川女子高には馬はいない。 現役時代は、何もしていなかった。やる気が湧かなくて、大学は受けても受からないイメージだったから、もう諦めて浪人することに決めていた。
そろそろヤバイと焦り始めた5月ごろ
群馬県に住んでいると、車の免許がなければ身動きが取れない。まずは自動車免許取得に専念した。
5月になり、勉強をやらなければと思うようになって、時間を決めて勉強を始めた。それでも宅浪(自宅浪人)になって勉強していても、それが成果につながるかどうかが不安で、どうしても気が散る。親や兄弟がいないところで勉強したいと思うようになった。 そこで、群馬から出てきて、埼玉県さいたま市の祖母の家に居候させてもらって、集中して勉強することにした。 そんな折、「予備校どうしよう。入ったほうがいいかもしれない…」と迷ったときに、群馬にいる母が武田塾を見つけてきてくれた。私が早稲田大学に行きたいのを母が理解して、実績を出している武田塾のことを調べてきてくれた。
受験相談から入塾へ
武田塾は授業がないみたいだから、受験相談だけでも行って来たら」と母から勧められたのが、6月の終わりごろだった。
母もわかっていたようだが、授業を受けても、受けただけで満足して、わかったつもりになってしまう。そんな授業よりも自主学習のほうが成績も伸びると思っていた。私には、武田塾の指導方針がちょうど良さそうだと思った。受験相談のあと、入塾したのは7月の最初のころだった。
武田塾に入塾してみて
全く授業しないことは、当初の説明どおりだった。
私には、勉強方法をちゃんと教えてもらえるほうが、すごく良かったし、合っていた。 勉強方法がわからないから、私はできなかったのだと思った。まずは参考書を使う勉強方法を教えてもらった。つまり受験教科の勉強方法を細かく教えてもらえたので、早稲田大学へ受かるために何をしたらいいのかが見えてきた。それも現役早稲田大学生の先生が、自分の経験を紐解きながら、的確に教えてくれる。これほど心強いことはなかった。
生半可な努力では受からない
受験準備期間の最初のころは、勉強しなければいけないことも多く、毎日12時間は費やさないと、武田塾から出される課題が終わらなかった。
朝早く起きて、30分間マラソンを走りに行って、朝食を食べて、お昼の12時まで祖母の家で自宅学習。午後1時から9時ぐらいまでは武田塾の自習室で集中して勉強していた。あまりだらだら勉強しても頭に入らないから、夜は早く寝ていた。
まずは、基礎固め
第一回マーク模試の結果はあまりよくなかった。
英語が致命的で、偏差値48ぐらいだった。 これは、まず文法がヤバイと思い(このころ単語は少しずつ勉強を初めていた)、武田塾へ入る前に「Next Stage英文法・語法問題―入試英語頻出ポイント218の征服(桐原書店)」の第一章、文法の部分を10周くらい解いていた。 一日1周するようにお母さんから指示されて、「はい。やります」と母に答えて、文法だけは克服してから武田塾へ入塾した。単語と文法がわかったら、英語の長文が読めるようになった。 武田塾でさらに長文を読むようになり、長文の読み方を学んで、英語の成績が上がってきた。基礎固めをしたあとは、とにかく早稲田大学の赤本を解いていた。 世界史のほうは、宗教史と関連付けて受験勉強すると楽に覚えられる。「ナビゲーター世界史B(山川出版社)」がとても役に立った。